他人の人生はフィクションのようだ
高校一年生くらいの時に、友人に
「自分以外の人間にも一人称視点が存在していて、自分とは別のことを考えていて、そんな人間が駅に行けば何百人といて、世界で考えたら何億人もいると考えたら怖くて仕方ない」
と話たら、
「それ、涼宮ハルヒも同じこと言ってたよ」
と言われてから、なんとなく恥ずかしくなった。
それから、こんな話をしたことあまりなかったんだけど、今日上司と将来のキャリア論とかについて話していたら、似たような話をして、なんとなく自分の思ったことや今現在考えていること・感じていることをまとめようと思って書いてる。
基本的に自分以外の人生はフィクションだと思っている。
この感覚は自分の周りにいる人に話してもあんまり共感を得られないし、
なんだか偉そうに聞こえてしまうので、あまり話したいことでもないんだけれど、
誰も見ていないここだから書いてみようと思う。
自分がするどんなことにも熱狂できない。
失敗を恐れているとかももちろんあるとは思うのだけど、
熱狂したいと思うことも見つけられない。
それよりも、熱狂している人を見て、その熱狂を近くで味あわせてほしい。
あなたが主人公の物語の熱狂を僕にも分けてほしい。
そんな思いがなんとなくある。
こんな話をすると「なんか偉そうだね」とか「自分は少し離れたところから見て、楽しみたいんでしょ」みたいなことを言われる。
絶対そうじゃないとは言えないけれど、なんとなくそれらの言葉は自分の想いとは違っていて、歯がゆい。
そう思われている時点で、そうなのかもしれないけれど。
自分は自分の人生の主人公なのではあるのかと思うのだけれど、
自分は面白そうな物語をできるだけ多く楽しみたい欲張りな人間だから、
みんなの物語をもっと楽しみたいんだと思うんだ。
漫画や小説・映画・アニメとかのフィクションももちろん大好き。
でも、自分の周りにはもっといっぱいの熱気を帯びたフィクションがあると思うと、面白そうな物語に自分も参加したいと思う。
もちろん主人公じゃなくていいんだけど。
いつも自分は主人公であるみんなの横であなたの物語を一緒に楽しみたいんだと思う。
確証は得られないけど、そんな感じがする。